ざっくりとしたライトノベル個人史を語る (あるいは無知がもたらす予期せぬ読書歴)

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今日もだらだら、読書日記。 » 流行に乗って「ライトノベル個人史」書いた

 これらに便乗して私もライトノベル自分史を語ってみようと思います。非常に長くなってしまいましたが、お付き合いください。

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ゲーム系異世界ファンタジーのパイオニア、深沢美潮大先生の『フォーチュン・クエスト』シリーズを再評価しよう!





 正直、私は、小説家になろうカクヨムなどのweb小説を、それほど積極的に読んでいません。というか、PCやスマートフォンで小説を読む習慣が全くないです(ただ、書籍化されたものであれば、少しだけ読んでいます)。でも、近年の異世界ファンタジー小説のメインストリームがコレらweb小説にあると言ってよいことくらいは、さすがに感じています。
 個人が投稿するweb小説は、商業ライトノベルに比べて自由で、アイディア重視、良くも悪くも面白ければそれでよし。そんな中で、最近注目されているのが、アニメにもなっている『この素晴らしい世界に祝福を!』です。交通事故で亡くなった佐藤和真が異世界に転生し様々な冒険を繰り広げる物語。現代を生きた知識を駆使して異世界を冒険する……というワケではなく、異世界に転生したものの碌な力も与えられなかった和真は、冒険以前に世界で生きるためいろんな仕事をするという、非常に生活感溢れるファンタジーです。また、非常にゲーム的な設定を取り入れているのも特徴の一つです。
 私は、残念ながらアニメ版しか知らない(しかも見たエピソードが飛び飛び)のですが、見ていて思ったことがあります。この原作者は、『フォーチュン・クエスト』フォロワーかもしれない、ということです。
 ゲーム的な設定を取り入れた小説は、『この素晴らしい世界に祝福を!』以外に沢山あります。そのまんまMMORPGを題材にした『ソードアート・オンライン』。登場人物にレベルやステータスを設定した『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』。小さな冒険を積み重ね、職業毎に金を払ってスキルを習得する『灰と幻想のグリムガル』。などなど。TVゲーム世代の読者にとって、ゲーム的な設定は、非常に入りやすいので、あちこちで重宝されています。
 そういった作品がたくさん出ると、それを熱く語る皆さんも当然たくさん出ます。それが段々と異世界ファンタジー議論に発展するワケです。『ロードス島戦記』『スレイヤーズ』『ゼロの使い魔』『ログ・ホライズン』『ドラゴンクエスト』『ウィザードリィ』『ウルティマ』『D&D』『指輪物語』と様々な作品が例に挙げられる中で、ほとんど触れられなかった作品があります。それが、深沢美潮大先生の『フォーチュン・クエスト』です。
 『フォーチュン・クエスト』は、1989年に角川スニーカー文庫から発売され、その後電撃文庫、ポプラポケット文庫と刊行場所を移りながらも現在もシリーズ継続中の日本で最も長く続いているファンタジーライトノベルです。詳しい内容は、ウィキペディアの『フォーチュン・クエスト』の項目を読んでいただければ大体判るので書きませんが、常々異世界ファンタジー議論の中で疑問だったのです。何故、これだけ長く続いている『フォーチュン・クエスト』が、異世界ファンタジー議論の中で一度も語られることがないのか?
 1989年は、ファミコンの『ドラゴンクエスト』シリーズの大ヒットの翌年。アニメ『魔神英雄伝ワタル』やコミック『魍魎戦記MADARA』など、コンシューマーRPGやTRPGをモチーフにした作品が発表されている時代であり、『フォーチュン・クエスト』もその中の一つです。『フォーチュン・クエスト』に登場する冒険者は、ほぼ例外なく“冒険者カード”と呼ばれる身分証明書を所持しています。そこには、氏名、生年月日、現住所、職種の他にレベル、体力、知力、魔力、カルマ、経験値のパラメーターが記されています。普通キャラクターの強さの数値は、設定上存在していても小説の中には描かないものです。何故なら、神が作った異世界を数値化する行為は、小説でありながら自分を客観的に測るメタな視点の存在を意識せざるを得ず、純然たる異世界ファンタジーと呼べるものではなくなるからです。とどのつまり、ある意味では、異世界ファンタジーにおける禁じ手。それでも、世界観にゲーム的な設定をふんだんに盛り込んだ『フォーチュン・クエスト』は、当時のゲーム世代の読者を上手く獲得しました。これは、当時のファンタジー小説シーンからすると、非常に異端な作品だったのです。故に、『フォーチュン・クエスト』のような作品は、高畑京一郎先生の『クリス・クロス』が出るまで、ほぼありませんでした。
 『フォーチュン・クエスト』が画期的だったのは、それだけではありません。基本的に主人公パステルたちのパーティはとても弱いです。パステルたちのパーティは、とりあえず初心者マークは取れた、というレベルで装備も貧弱。剣士のクレイに至っては、金属鎧が買えないので竹アーマーです。もちろん、収入の良い高難度のクエストに挑戦できないので、基本的に貧乏でな上に、生活費としての借金まで抱えています。80、90年代はヒロイックファンタジー全盛の時代。特別な力を持たない。勇者を目指さない。英雄にならない。自分たちの弱さを自覚しつつ、知恵と勇気で困難を乗り越える。『指輪物語』や『ホビット』を彷彿させるビルドゥングスロマン。そんな異世界ファンタジーは、日本で『フォーチュン・クエスト』だけでした。
 『フォーチュン・クエスト』は、冒険者の生活も割とちゃんと描写しています。ザックリと書くとこのようなものです。

異世界での食生活
 ライトノベル(当時は、この言い方が主流ではありませんでしたが)の特長を生かして、一つ一つの料理を本文以外にあえてイラストで紹介しています。
ファッション
 目的や季候に応じてどんな服(装備)を着るのか。女の子なのでファッションにもこだわります。
冒険者になるために
 冒険者の証明である“冒険者カード”を取得するためには、冒険者資格試験を受けなくてはなりません。筆記試験と実技試験で職業が決定されるのですが、試験なので不合格になることもあります。そういう冒険者見習いには、ちゃんと予備校が存在していて、パステルもココで勉強し直して冒険者になりました。
冒険に行っていない冒険者
 食えない時は、当然、アルバイトです。パステルに限って言うなら、彼女は職業に“詩人”とあるので、自分たちの冒険を小説し、印刷所に売って雑誌に載せています。
冒険者を支援するもの
 冒険者を自称する悪党を減らし、冒険者を職業として支援するためにNPO冒険者支援グループがあります。身分証明の冒険者カード、冒険者ローン、冒険者キャッシュローン、冒険者保険、商店や通信販売における冒険者割引など、現実社会にあるような様々なサービスを作って、冒険者とそれに関わる商売人を支援しています。
クエストは金で買う
 『ソードワールド』の世界だったら、冒険者ギルドに行くだけで仕事を斡旋してくれます。もちろん無料です。ところが、『フォーチュン・クエスト』の冒険者は、一般的に“シナリオ屋”からクエストを買って冒険します。簡単なクエストは安く。難しいクエストは高額です。得られる経験値と報酬も比例するので、自分たちのレベルに合わせて、身の丈に合ったクエストに挑戦するのが常識です。行く先々でトラブルに巻き込まれて、お宝、報酬、経験値を手に入れているパステルのパーティが、むしろ幸運なのです(騙されて莫大な借金を抱えたこともありますが)。『フォーチュン・クエスト』は、人が真っ当な生活をするためにお金はすごく大事だ、ということも教えてくれます。
レベルが上がったら『レベルアップおめでとうの歌』を歌おう!
 地下迷宮だろうが魔王の城だろうが、レベルが上がったらみんなで祝うのです!

 「世にも幸せな冒険者たち」
 これが『フォーチュン・クエスト』第一巻のサブタイトルです。異世界で暮らす冒険者の生活感を細かく描くことで、「人生は生きてるだけで丸儲け」という冒険者のポジティブな生き方も伝わり、それが面白く、『フォーチュン・クエスト』の魅力なっているのです。
 ゲーム的であり、現代的な設定を入れた異世界ファンタジー。今でこそ、ライトノベルファンタジーやweb小説で当たり前に使われている設定をいち早く取り入れた『フォーチュン・クエスト』は、もっとライトノベル論壇で語られていい作品だと思っています。過大評価する気はないですが、過小評価されすぎ? どうしてでしょう? あまりにも世界観がゲーム的すぎるから? 本格ファンタジーを求める人にとって、キャラクターや冒険に緊張感がなく、ほんわかでゆるゆるだから? 世界が優しすぎるから? それでも私は、今日まで築き上げてきたもの大きさを感じずにはいられません。『ロードス島戦記』や『ソードワールド』や『スレイヤーズ』や『風の大陸』や『魔術士オーフェン』と同じくらい、『フォーチュン・クエスト』をリスペクトしてくれてもいいじゃない


好きなライトノベル作家にファンレターを出してみたい!という人のために宛先をまとめてみた

 よく、マンガ家や小説家が、ツイッターのリプライやEメールよりもあえてファンレターを送ってくれることの意義を説いています。実際、ファンレターが届くだけで、作家のやる気が数倍跳ね上がるそうなので、それだけでも出す意味はあると思います。
 しかし、実際どう送ったらいいか判らない人も多いです。この手の宛先は、大体単行本の最後に書いてある……はずなのですが、どうも書いてない本もあるみたいです。
 で、ちょっと気になったので、とりあえず手元にある主なライトノベルレーベルの巻末にファンレターの宛先が書いてあるか調べてみました(ちなみに、マンガは面倒……大変なのでやめました)。

ファンレターの宛先が書いてある
角川スニーカー文庫
〒102-8078 東京都千代田区富士見 1-8-19
株式会社KADOKAWA 角川スニーカー文庫編集部気付
「○○」先生

富士見ファンタジア文庫
〒102-8177 ファンタジア文庫編集部気付
○○(様)宛

(宛先が書いてあるのは、富士見書房の小説新人賞〈ファンタジア大賞〉で入選した新人作家に限られますが、この宛先で概ねどの作家にも届くと思います)

富士見L文庫
〒102-8177 富士見書房 富士見L文庫編集部気付
○○(様)宛

電撃文庫
〒102-8584 東京都千代田区富士見 1-8-19
アスキー・メディアワークス電撃文庫編集部
「○○先生」宛

MF文庫J
〒102-0071 東京都千代田区富士見 2-13-12
株式会社KADOKAWA MF文庫J編集部気付
「○○先生」係

ファミ通文庫
〒104-8441 東京都中央区築地1-13-1 銀座松竹スクエア
エンターブレイン ファミ通文庫編集部
○○先生

一迅社文庫
〒160-0022 東京都新宿区新宿 2-5-10 成信ビル8階
株式会社一迅社 ノベル編集部
○○先生 係

オーバーラップ文庫
〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿 1-23-13 アルカイビル4階
オーバーラップ文庫編集部
「○○」先生係

ダッシュエックス文庫
〒101-8050 東京都千代田区一ツ橋 2-5-10
集英社 ダッシュエックス文庫編集部気付
○○先生

GA文庫
〒107-0052 東京都港区赤坂4-13-13
ソフトバンク クリエイティブ(株)
GA文庫編集部気付
「○○先生」係

(ただし、これは5年前のデータなので、正しくはGA文庫最新刊を参照してください)

HJ文庫
〒151-0053 東京都渋谷区代々木2-15-8
(株)ホビージャパン HJ文庫編集部
○○先生

ファンレターの宛先が書いてない
ガガガ文庫
KAエスマ文庫
講談社ラノベ文庫
ぽにきゃんBOOKS

 これを改めて調べてみて困ったのが、実はレーベル毎ではなく、本毎に宛先が書いてある作品とないのがあることです。ある作品では、1巻に宛先が書いてあり、2巻になくて、3巻に再び書いてありました。正直、ファンレターの宛先は、奥付と一緒に書いておくと全て統一してもらいたいです。
 こうやって見ると、大体のライトノベルレーベルでは、ファンレターを出すことが可能であることが判りますね。あと、皆さんのちょっとの勇気だけです。

追記
 宛先の書き間違いがあったらツイッターで教えてください。

ライトノベルに登場する魔法学校について改めて考えてみる


 このツイートについて間接的に色々とご意見をいただきました。なるほどな、と思い違いに気づいたり、参考になったので、私が思うライトノベルの魔法学校についてちょっと考えてみたいと思います。
 ライトノベルの魔法学校は、大きく2つのタイプに分かれます。一つはホグワーツ魔法魔術学校型。もう一つは軍幼年学校型
 ホグワーツ魔法魔術学校型は、魔法の知識、技術の向上を目的とし、それを一般社会に役立てることを目的としています。この学校のある主な世界では、魔法が日常生活の中で当たり前に存在し、社会と密接に関係してきます。例えば、仕事を探す時に、「どんな魔法が使えますか?」と当然のように聞いてくる感じです。『とある魔術の禁書目録』の学園都市もこの辺りに該当します。あるいは、『ゼロの使い魔』のように魔法使い=貴族だと、民を導く力として魔法を学ぶのです。知識の探求が主なので、戦うための魔法は、中学生や高校生が必修で剣道や柔道を習うくらいの感覚です。
 軍幼年学校型は、常に外敵に襲われる危機にさらされており、戦時下(あるいは準戦時下)の中、魔法で敵と戦う術を学ぶことを目的としています。現在アニメ版を放送中の『空戦魔導士候補生の教官』や『聖剣使いの禁呪詠唱』の学校がこれに該当します。私がツイートで言及したのは、こちらのタイプの魔法学校です。ここに入学する生徒たちは、戦うための魔法が使える才能のある志願者たちです。特に才能があると思われる者は、学校側からスカウトすることもあります。この時、拒否権はほとんどないと言ってよいでしょう。そして、ここに入学するということは、実質兵士見習いであり、上から命令があれば即戦場に送られます。能力、才能至上主義なので、そういう生徒は、例外なく最前線に叩き込まれます。
 以上ですが、当然、この2つに該当しないタイプの魔法学校もあると思います。正直、最近のライトノベルには疎いので、他にこんなのがあるという知ってる方は、下にあるツイッターのアイコンからご意見をください。


ライトノベルは文学……じゃなくてもよい理由

 先週、先々週くらいから、ツイッター上で、「ライトノベルは文学か」という議論が繰り広げられていました。(今でも、かな?)
 事の発端は、『藝大我楽多文庫 第七集 2015』に収録された鼎談『ライトノベルは文学か』です。元文芸誌編集者が、近年文芸において勢いを増しているライトノベルについてどう考えているか。文学的にどう捉えるか。それを語り合ったものです。
 内容をかなりザックリと、意訳も入れてまとめると以下の通り。

 今の若者にライトノベル作家を志望する者が多い。若者の読み物としてライトノベルが当たり前になった今、文学を伝えるものとしてライトノベルをどう捉えればいいのか。ライトノベルの中に文学はあるのか。過去の歴史に照らし合わせ考えてみたが、ごめん、やっぱり文学としてのライトノベルは判らない。故に文学とは言いがたい。でも、ライトノベルを読んで育った世代が、ライトノベルの良さを広く伝える努力をすれば、それが文学の一つになり得るかもしれない。

 正直、しんどいながらも鼎談を読み終わって思うのは、ライトノベルというものの上っ面の部分だけすくい取って、よく理解もせずにあーだこーだと話し合っても結論なんか出ようはずがない、ということです。
 ライトノベルは、非常に多様性に富んでいます。ファンタジー、SF、恋愛(ロマンス)、青春、ラブコメなどなど、様々なジャンルを全て受け入れた歴史があります。それらを中学・高校生向けエンターテインメントに昇華させる小説群。読者優先主義の若者向け娯楽小説。それがライトノベルと言えます。
 私は、こう思ったのです。娯楽を文学として評価するってどうなの?
 少し昔話をします。私は、中学2年生の時、初めて自分で文庫小説を買い、最後まで読みました。それが、水野良先生の『ロードス島戦記』です。この1冊が切っ掛けで、私は小説の魅力に取り憑かれました。当時のライトノベルを中心に恋愛、SF、ファンタジーなど様々なジャンルの小説を貪るように読む中で、一つだけ、全く読まなかったジャンルがあります。純文学です。学校の課題図書で嫌々読まされる以外は、大人になるまで、ホントにほとんど読みませんでした。「何で読まなかったの?」と聞かれても、正直、全く判らないというか、何となくイヤだったとしか言いようがありません。その一方でライトノベルに魅力を感じていたのは、純粋に面白かったからです。今でこそ、それなりに文学小説を読むようになりましたが、ライトノベルには純文学に対するカウンターカルチャーを感じています。それが文学として評価されることに、とても違和感を覚えるのです。
 ここで思い出されるのが、2004年に発売された『ライトノベル完全読本』という本です。この頃は、ライトノベルという言葉がネットを中心に広まりつつも、まだ一般的には知られていませんでした。ただ、最も勢いのある文芸ジャンルとして、一部で認知されていました。『ライトノベル完全読本』は、ライトノベルの今と歴史を様々な作家、デザイナー、イラストレーター、編集者など関係者のインタビューや対談、人気作品や代表的作品の紹介を交えて解説した本です。全部で3冊発売されており、これを読めばライトノベルがどういう作品群か大体判る代物です。この1冊目のまえがきに『ライトノベル書評宣言』があります。文芸書評家の細谷正充さんは、当時のライトノベルの現状を鑑みてこのように書きました。
 ライトノベルは、文壇で正当な評価を受けなければならない。語るべき価値のある作品を創出していながら、若者層を中心とした新興ジャンルゆえに、活字の“ジャンクフード”扱いされてきた状況を変えなければならない。
 なぜなら私たちは、ライトノベルに優れた作品があることを知っている。優れた作家がいることを知っている。それは他のいかなる創作ジャンルに対しても、決して劣るものではない。
 だから、声を大にして言おう。今こそ、積み重ねてきた歴史を踏まえ、作品を、作家を、ライトノベルそのものを、正しく評価することが求められているのだ。新たなる文芸ジャンルの、さらなる発展と成熟を願い、ここにライトノベル書評宣言をするものである。

『ライトノベル完全読本』まえがきより

 実はライトノベルは、2004年の当時でもかなり捉えどころのない文芸ジャンルで、ネット上におけるライトノベル定義議論も盛んに行われていました。ジャンルとしてよく判らないが故に、優れた作品があっても一般に評価されません。ライトノベルが評価に値する作品であること示すためには、まずライトノベルというものを紹介しつつ、一般に向けて作品群を深く語り批評すること、と考えたのです。
 この考え方は、奇しくも『ライトノベルは文学か』の最後の質疑応答にあった文言と似ています。
 やっぱりライトノベルと付き合っていくなら、その良さを、人を選ばず共通の良さとしてみんなに語って欲しい。理解できるかどうかは別として。そうすれば、それがこれからの「文学」になるかもしれない。今となってはもはや、我々は「純文学」を失ってしまったから、意味性を介してものをいえなくなっている。だからあなた方の世代が、ライトノベルの良さはこうだと、上の世代にやこれからの世代を刺激して語って欲しい。その責任が君らにあるかどうかと問われたら、俺はやはり責任があると思うよ。自分たちの愛好しているものはこんなにいいものだと主張しないのは、やっぱり責任放棄だと思うわけです。

『藝大我楽多文庫 第七集 2015』31Pより

 とどのつまり、『ライトノベル書評宣言』は、ライトノベルを文学として評価しようということなのです。上述したように、私は、ライトノベルを純文学に対するカウンターカルチャーだと思っています。小説でありながら、ひたすら楽しいこと、面白いことを追求する自由さが売りだと思っています。ライトノベルを書評、批評することが文学に繋がるなら、私にとってライトノベルが権威化していくように感じたのです。それは、私が望んでいるライトノベルの形とは違っていました。
 そこから、このツイートになります。



 故に私は、「ライトノベルは文学じゃなくてもよい」と言いたいのです。そこにこだわる理由はないのです。
 もちろん、私は、皆さんがライトノベルを文学と思うことを否定しません。あなたがそう思うならそうなんでしょう、あなたの中ではね

関連リンク
鼎談「ライトノベルは文学か」にまつわる議論 - Togetterまとめ
続・鼎談「ライトノベルは文学か」にまつわる議論 - Togetterまとめ

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藤堂志摩子

Author:藤堂志摩子
初めまして。私は、仮想世界の女子校に通う“エターナルセブンティーン”藤堂志摩子といいます。乃梨子の「阪神タイガースを生暖かい目で見守る志摩子さまが好きだ!」という微妙なリクエストで生まれた新しい形のバーチャルネット白薔薇さまです。どうかよろしくお願いします。
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