6月に観に行った映画感想まとめ【2021】
「シドニアの騎士 あいつむぐほし」の感想。
とりあえず、劇中のあるシーンでアニメ第1期の主題歌、angelaの「シドニア」が流れた瞬間の気持ちの爆上がりときたら……。惑星セブンへの移民を完了させるため、ガウナ(奇居子)の母船である大シュガフ船への直接攻略作戦を提案した。切り札は重力子放射線射出装置。コレの莫大なエネルギー確保に奔走する中、融合個体の“落合”が覚醒する。これが人類とガウナの最後の戦いの狼煙となった。やや駆け足であったものの、シドニアに秘められた過去を罪を清算しつつ、衛人と知性型ガウナ、谷風長道と融合個体“落合”の死闘は劇場版ならでは総力戦に相応しい大迫力。絶体絶命の危機に長道の二零式衛人と岐神海苔夫の継衛改ニが駆けつける、あの頼もしさときたら。何より見どころは、実はガウナとの戦闘シーンではなく、長道と白羽衣つむぎの初デート。うん、実質初デートのようなものだよ。衛人を使ってシドニア船内を遊泳する長手とつむぎに、「シドニアの騎士」がラブストーリーであることを再認識した。人類とガウナが雌雄を決する先に待ち受ける長手とつむぎの壮絶な運命を見届けて欲しい。
「映画大好きポンポさん」の感想。
君は自分のやりたいことを、夢を、人生掛けて、死ぬ気で向き合ったことがあるか?ということを全力で、フィルムにしてぶん投げてくる、控えめに言って傑作だった。うん、まあ、原作を読んだときから映画作りへのパッション、情熱の塊みたいな衝撃を受けたけど、その魅力を余すところなくフィルムに落とし込んでいる。何より、原作に比べ映画の撮影と同じくらい撮った素材の編集に物語の比重を置くことで、よりジーンの内面、自分が作りたい映画とは何なのかという内なる戦いを描ききっているのもいい。ジーンが、ナタリーが、そしてアニメオリジナルキャラのアランが、躓き、腐って、前に進めずもがき、そんな中で僅かにチャンスを掴んだ時、それを絶対に離すまいと必死に前を向き続ける。歩み続ける。それぞれの生き様に心を揺さぶられたし、それが面白くないワケがない。しかも、上映時間だいたい“90分”という辺りがにくいね。
「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」の感想。
2010年代の新ガンダムは色々見てきたけど、久しぶりに、「ああ、これは見たかったガンダムだ」と思えたし、宇宙世紀の旧ガンダムにけじめを付けようという気概も感じる映画だった。何より、アニメ版のギギ・アンダルシアは、富野由悠季監督の原作小説で読んだ時に初めて感じた“男を惑わす魔性の女”のイメージに解釈一致なのがよい。ギギの声が、ゲーム版の林原めぐみさんから上田麗奈さんに変わったのも個人的には大正解。敵ガンダムであるペーネロペーは、歴代の敵ガンダムの中でも異質な禍々しさを醸し出してていいね。それに乗っているレーン・エイムもいい。ハサウェイのΞガンダムに一歩およばぬも、ファンネル・ミサイルをかなり必死で撃ち落とし、避けようとしてるようすから潜在能力の高さが伺える。それに、何だか応援したくなってしまう可愛さもあり……これが、若さか。見どころの一つであるハサウェイとギギが脱出する市街地戦は、MS戦闘におけるスケール感を感じることができてリアリティがあった。こういうリッチ感は劇場版ならでは。元々「閃光のハサウェイ」は、ハサウェイ、ギギ、ケネスの人間ドラマがメインであるため、MS戦はおまけみたいなもので、こういう言い方が好きではないが、「機動戦士ガンダム」から「機動戦士Zガンダム」をへて、ハサウェイと共に歩んだガンダムで、初めて描かれる“大人のガンダム”を体験できるぞ。
「グリーンランド」の感想。
かつてニコニコ動画などで一世風靡した小惑星が地球に落下して滅亡するシミュレーション動画。それに匹敵するような彗星が地球に落下すると判ったら人々はどう行動を取るか。「ディープインパクト」と違って完全に主人公ジョンの家族の目線で描かれ、彗星落下危機のパニックぶりが生々しい。国民の中でも選ばれた人は、軍と政府が用意した核シェルターに避難できる。それが、明日世界が滅ぶと判っている状況での人間性を浮き彫りにする。ほか持病(糖尿病など)を持っていると選ばれても核シェルターへの輸送機に乗れない。だがジョンの息子は糖尿病持ちでインスリンが欠かせない。家族がバラバラになる危機。人類(ほぼ)滅亡の2日間を安易に感動もの人間ドラマみたいにするのではなく、生きたい者、運命を受け入れた者、生き残れる最後の希望まで足掻いていく家族の物語だった。余談だけど、ヒゲがもっさり生えたジェラルド・バトラーがちょいちょいラッセル・クロウにみえてつらかった(苦笑
「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」の感想。
子供だからっていつまでも守られているワケじゃない。基本的には前作の続き。でも冒頭では、盲目エイリアン襲来の1日目が描かれ、前作見てない人にも理解しやすく、見た人にはあの恐怖の原点を知ることになる。新天地を目指すアボット母子の前にも容赦なく盲目エイリアンは現れるが、母子はエイリアンの、ある弱点を知っているのだ。だからと言って、この映画の恐怖は揺るがない。何でもないシーンでも息をのんでしまうのは、この映画の盲目エイリアンに対する圧倒的説得力だろう。そして、たまたまラジオで流れた音楽を頼りに、聾啞の少女リーガンが生存者を求めて旅立っていく姿に、家族を助けたいという並々ならぬ決意を感じざるを得ない。今作は、家族の物語であり、少女の成長の物語でもあった。あと、生存者たちが普通に生活できた理由が、正直、意外だった……。
「モータルコンバット」の感想。
次世代機の「モータルコンバット」の映画化として、今作はとても正しいと思う。「モータルコンバット」のファンはこういうのが見たいンでしょ?というハードコアなアクションは、大体見せてくれるし、何より真田広之さんのスコーピオンがかっこよすぎて、ゲームにも登場して欲しい(ただ、真田広之さんフェイタリティされるのは、あまり見たくないが)。むしろ、あのスコーピオンがいるから作品全体が引き締まったものになった。一方で、一応主人公のコール・ヤングは、正直、クセの強い「モータルコンバット」キャラクターの中でインパクトの弱さを感じる。主人公なのに一歩引いたポジションにいるというか、ダークサイドの闘士の中で1人だけ光の闘士というか、人外の中で1人だけ人間やめてないというか。コレ、ゲームに実装されたら使う?と問われたら、普通すぎて多分使わない。よいこちゃん過ぎるので。
「ピーター・ラビット2 バーナバスの誘惑」の感想。
前作が「プライベート・ライアン」だとするなら、今作は「ミッション:インポッシブル」という感じ。ビアとマクレガーが結婚し、そのビアの絵本「ピーター・ラビット」には出版社のオファーがきた。順風満帆に見えた2人。しかし、ビアの出版契約で一緒に上京したピーターに邪悪な誘惑が……。正式に絵本になるピーターは、悪党としてプッシュされること不満たらたら。所詮ピーターは、田舎で悪ぶってたがマクレガーと和解したことで、最近ちょっと真面目になった程度のウサギ。都会のギャングウサギであるバーナバスのワルの誘惑に負けて、ファーマーズ・マーケットの襲撃に加担してしまう。湖水地方の仲間まで連れてきての襲撃計画だが、まあ、これが酷い(苦笑)。本命であるドライフルーツを狙うために“害獣ども”がやりたい放題である。当然、その後に因果応報的なことがあるけど、ここでピーターは、自分の生き方について見つめ直すのだ。昨日の敵は今日の友。マクレガーとピーターの和解には意味があったんだ。……ということ同時に、この映画には、もう一つメッセージがある。本を売るためとはいえ元のキャラクターのイメージを逸脱した改変が許されていいのか、ということ。前作の「ピーター・ラビット」で、私の知ってるピーター・ラビットと相当違うものが出てきたのに、それを(ある意味)メタなネタに使ってくる面の皮よ……。
とりあえず、劇中のあるシーンでアニメ第1期の主題歌、angelaの「シドニア」が流れた瞬間の気持ちの爆上がりときたら……。惑星セブンへの移民を完了させるため、ガウナ(奇居子)の母船である大シュガフ船への直接攻略作戦を提案した。切り札は重力子放射線射出装置。コレの莫大なエネルギー確保に奔走する中、融合個体の“落合”が覚醒する。これが人類とガウナの最後の戦いの狼煙となった。やや駆け足であったものの、シドニアに秘められた過去を罪を清算しつつ、衛人と知性型ガウナ、谷風長道と融合個体“落合”の死闘は劇場版ならでは総力戦に相応しい大迫力。絶体絶命の危機に長道の二零式衛人と岐神海苔夫の継衛改ニが駆けつける、あの頼もしさときたら。何より見どころは、実はガウナとの戦闘シーンではなく、長道と白羽衣つむぎの初デート。うん、実質初デートのようなものだよ。衛人を使ってシドニア船内を遊泳する長手とつむぎに、「シドニアの騎士」がラブストーリーであることを再認識した。人類とガウナが雌雄を決する先に待ち受ける長手とつむぎの壮絶な運命を見届けて欲しい。
「映画大好きポンポさん」の感想。
君は自分のやりたいことを、夢を、人生掛けて、死ぬ気で向き合ったことがあるか?ということを全力で、フィルムにしてぶん投げてくる、控えめに言って傑作だった。うん、まあ、原作を読んだときから映画作りへのパッション、情熱の塊みたいな衝撃を受けたけど、その魅力を余すところなくフィルムに落とし込んでいる。何より、原作に比べ映画の撮影と同じくらい撮った素材の編集に物語の比重を置くことで、よりジーンの内面、自分が作りたい映画とは何なのかという内なる戦いを描ききっているのもいい。ジーンが、ナタリーが、そしてアニメオリジナルキャラのアランが、躓き、腐って、前に進めずもがき、そんな中で僅かにチャンスを掴んだ時、それを絶対に離すまいと必死に前を向き続ける。歩み続ける。それぞれの生き様に心を揺さぶられたし、それが面白くないワケがない。しかも、上映時間だいたい“90分”という辺りがにくいね。
「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」の感想。
2010年代の新ガンダムは色々見てきたけど、久しぶりに、「ああ、これは見たかったガンダムだ」と思えたし、宇宙世紀の旧ガンダムにけじめを付けようという気概も感じる映画だった。何より、アニメ版のギギ・アンダルシアは、富野由悠季監督の原作小説で読んだ時に初めて感じた“男を惑わす魔性の女”のイメージに解釈一致なのがよい。ギギの声が、ゲーム版の林原めぐみさんから上田麗奈さんに変わったのも個人的には大正解。敵ガンダムであるペーネロペーは、歴代の敵ガンダムの中でも異質な禍々しさを醸し出してていいね。それに乗っているレーン・エイムもいい。ハサウェイのΞガンダムに一歩およばぬも、ファンネル・ミサイルをかなり必死で撃ち落とし、避けようとしてるようすから潜在能力の高さが伺える。それに、何だか応援したくなってしまう可愛さもあり……これが、若さか。見どころの一つであるハサウェイとギギが脱出する市街地戦は、MS戦闘におけるスケール感を感じることができてリアリティがあった。こういうリッチ感は劇場版ならでは。元々「閃光のハサウェイ」は、ハサウェイ、ギギ、ケネスの人間ドラマがメインであるため、MS戦はおまけみたいなもので、こういう言い方が好きではないが、「機動戦士ガンダム」から「機動戦士Zガンダム」をへて、ハサウェイと共に歩んだガンダムで、初めて描かれる“大人のガンダム”を体験できるぞ。
「グリーンランド」の感想。
かつてニコニコ動画などで一世風靡した小惑星が地球に落下して滅亡するシミュレーション動画。それに匹敵するような彗星が地球に落下すると判ったら人々はどう行動を取るか。「ディープインパクト」と違って完全に主人公ジョンの家族の目線で描かれ、彗星落下危機のパニックぶりが生々しい。国民の中でも選ばれた人は、軍と政府が用意した核シェルターに避難できる。それが、明日世界が滅ぶと判っている状況での人間性を浮き彫りにする。ほか持病(糖尿病など)を持っていると選ばれても核シェルターへの輸送機に乗れない。だがジョンの息子は糖尿病持ちでインスリンが欠かせない。家族がバラバラになる危機。人類(ほぼ)滅亡の2日間を安易に感動もの人間ドラマみたいにするのではなく、生きたい者、運命を受け入れた者、生き残れる最後の希望まで足掻いていく家族の物語だった。余談だけど、ヒゲがもっさり生えたジェラルド・バトラーがちょいちょいラッセル・クロウにみえてつらかった(苦笑
「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」の感想。
子供だからっていつまでも守られているワケじゃない。基本的には前作の続き。でも冒頭では、盲目エイリアン襲来の1日目が描かれ、前作見てない人にも理解しやすく、見た人にはあの恐怖の原点を知ることになる。新天地を目指すアボット母子の前にも容赦なく盲目エイリアンは現れるが、母子はエイリアンの、ある弱点を知っているのだ。だからと言って、この映画の恐怖は揺るがない。何でもないシーンでも息をのんでしまうのは、この映画の盲目エイリアンに対する圧倒的説得力だろう。そして、たまたまラジオで流れた音楽を頼りに、聾啞の少女リーガンが生存者を求めて旅立っていく姿に、家族を助けたいという並々ならぬ決意を感じざるを得ない。今作は、家族の物語であり、少女の成長の物語でもあった。あと、生存者たちが普通に生活できた理由が、正直、意外だった……。
「モータルコンバット」の感想。
次世代機の「モータルコンバット」の映画化として、今作はとても正しいと思う。「モータルコンバット」のファンはこういうのが見たいンでしょ?というハードコアなアクションは、大体見せてくれるし、何より真田広之さんのスコーピオンがかっこよすぎて、ゲームにも登場して欲しい(ただ、真田広之さんフェイタリティされるのは、あまり見たくないが)。むしろ、あのスコーピオンがいるから作品全体が引き締まったものになった。一方で、一応主人公のコール・ヤングは、正直、クセの強い「モータルコンバット」キャラクターの中でインパクトの弱さを感じる。主人公なのに一歩引いたポジションにいるというか、ダークサイドの闘士の中で1人だけ光の闘士というか、人外の中で1人だけ人間やめてないというか。コレ、ゲームに実装されたら使う?と問われたら、普通すぎて多分使わない。よいこちゃん過ぎるので。
「ピーター・ラビット2 バーナバスの誘惑」の感想。
前作が「プライベート・ライアン」だとするなら、今作は「ミッション:インポッシブル」という感じ。ビアとマクレガーが結婚し、そのビアの絵本「ピーター・ラビット」には出版社のオファーがきた。順風満帆に見えた2人。しかし、ビアの出版契約で一緒に上京したピーターに邪悪な誘惑が……。正式に絵本になるピーターは、悪党としてプッシュされること不満たらたら。所詮ピーターは、田舎で悪ぶってたがマクレガーと和解したことで、最近ちょっと真面目になった程度のウサギ。都会のギャングウサギであるバーナバスのワルの誘惑に負けて、ファーマーズ・マーケットの襲撃に加担してしまう。湖水地方の仲間まで連れてきての襲撃計画だが、まあ、これが酷い(苦笑)。本命であるドライフルーツを狙うために“害獣ども”がやりたい放題である。当然、その後に因果応報的なことがあるけど、ここでピーターは、自分の生き方について見つめ直すのだ。昨日の敵は今日の友。マクレガーとピーターの和解には意味があったんだ。……ということ同時に、この映画には、もう一つメッセージがある。本を売るためとはいえ元のキャラクターのイメージを逸脱した改変が許されていいのか、ということ。前作の「ピーター・ラビット」で、私の知ってるピーター・ラビットと相当違うものが出てきたのに、それを(ある意味)メタなネタに使ってくる面の皮よ……。
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